会の歴史

<会の歴史>

創  立 昭和35(1960)年10月10日
創立者 今関 脩竹(いまぜき しゅうちく、名は茂、1909~1989)

今関脩竹は、「小野鵞堂―高塚竹堂」の系譜にあり、日展を中心に作家活動を展開。文部省中学校教員検定(文検)の習字科に合格し、府立第三高等女学校(現在の都立駒場高等学校)の教員を経て、大東文化大学、二松学舍大学・東京学芸大学などで長きに渡り教鞭をとり、後進の育成に努めました。
現在は、会長・清水透石が今関脩竹の志を受け継ぎ、全国で活動する諸会員に対して熱心な指導を行っています。

<”藍筍会”の名前の由来>
中国伝来の『千字文』の中に、「晝眠夕寐、藍笋象床」(昼は眠り夜は寝ぬ、藍笋と象床あり)という語句があります。
この語句の中の、“藍笋(青い竹)、笋(たけのこ)”から、創立者・今関脩竹(「脩竹」とは「節々のよく伸びた竹」の意)が、“筍(弟子)”を育てる会として命名されたのではないか、と考えられています。

『千字文』とは、「天地玄黄」に始まる一句四字、全二五〇句千字の文章で、中国梁(502-549)の武帝が周興嗣(しゅうこうし、生没年未詳)に命じて作らせたとされる。

<設立の趣旨>

我が国で作られ、長い歴史と伝統を持つ「かな書道」を、単なる古典芸術として一部の人から愛されるだけではなく、魅力ある芸術として将来にわたって発展するようにとの願いから設立されました。基本学書として、学びやすい「大字かなの学書から」を提唱し、後進の育成に努めています。